グローバル社会で「生き抜く力」を育てる外国語教育
——立教大学外国語教育研究センター開設記念シンポジウム
2020年8月30日(土)オンライン開催
2021/08/06
シンポジウム
OVERVIEW
急激に変化するグローバル社会の中で、子どもたちは知識・スキルだけでなく、自ら課題を発見し、批判的に考え、他者と協力しながら課題解決する力を身につけることが求められています。「主体的・対話的で深い学び」を推進する新学習指導要領の策定や大学入試制度改革など日本の学校教育が大きく変わろうとする中、英語をはじめとする外国語教育はこれからどのような方向に向かっていくのでしょうか?
立教大学では外国語教育研究センター開設を記念して、これからの時代に子どもたちがたくましく生き抜く力を育成するために、外国語教育が果たすべき役割について考えるシンポジウムを開催しました。
基調講演
「グローバル社会で『生き抜く力』を育てる外国語教育」坪谷ニュウェル郁子(株式会社東京インターナショナルスクールグループ代表)
シンポジウムテーマ「グローバル社会で生き抜く力を育てる外国語教育」について、国際バカロレアの日本での普及に尽力されてきました坪谷ニュウェル郁子氏に、これまで教育現場で取り組まれてきた活動紹介しながらお話しいただきました。
講演要旨
日本人の英語力は低いのか?
「日本人の英語力は低い」という声がしばしば聞かれる。その理由として、日本人は間違えるのが嫌い、目立つのが嫌いなど国民性を理由に挙げる人もいれば、日本社会では英語を使う必要性がないからという意見もある。また、学校の英語教育を理由にあげる人もいる。それぞれもっともなところがあるが、はたしてそうしたことだけが理由であろうか。
アメリカの国務省の基準では、英語母語話者にとって外国語としての日本語は最も難しい言語の一つであり、CFERのB1レベルに到達するのに2,760時間かかったと報告されている。また、私が運営している学童保育で実験的に500時間、1,000時間、2,000時間、3,000時間での子どもたちの記録を取ってみたところ、3,000時間の時点でB1レベルに達していた。
一方、日本の小学校、中学校、高校での英語時間は全て合わせても1,000時間弱が一般的である。さらに、日本の学校の1クラスの生徒数は、OECD加盟国の中で最大規模に近い40名である。このクラスサイズで英語授業が1,000時間に満たないという現実を見ると、英語教育や日本の環境や国民性の問題というだけでは済まないのではないだろうか。
国際バカロレアには上級コースと標準コースある。標準コースの最終試験は、1)言語と文化、2)報道と文化、3)将来の課題、4)世界規模での課題、5)社会的課題、6)文学の問題の6つのカテゴリーで構成される。
例えば、「言語と文化」では、「時間の経過とともに言語の何が変化したのか、その変化は良い変化か、悪い変化か?」という問いである。こうした質問に対して、英語で解答が求められる。「報道と文化」では「マスメディアによって強調される固定概念には何があるのか?」、「世界規模での課題」では「全ての国はその国ならでは課題がある。総理大臣もしくは大統領に世界規模での課題に目を向けさせるため、あなたならどんな論理を使って納得させますか」といった問題である。こうした問題に対して、外国語である英語で、論理を組み立てて自分の意見を記述していく。これが国際バカロレアの大学入学審査における外国語試験である。
一方、日本の大学入学試験では空欄補充や選択式による出題が一般的である。私はここに外国語習得の1つの大きな課題があるのではないかと思う。穴埋め・選択式の試験が求める能力と、国際バカロレアの記述式の試験が求める能力には大きな違いがある。「あなたが生きている間に起こると思う変化について、最重要と思われることを2—3あげ、なぜそれらが重要であるのかを説明しなさい」という課題に対して、それに関連する知識を使い、論理的に考え、結論を出す力を持ち、さらにそれを外国語で表現し、コミュニケーションを取っていく。国際バカロレアの最終試験で求められるこのような力は、これからの社会でも求められる力ではないだろうか。
Educate(教育をする)という語の語源の1つに、「引き出す」という意味がある。つまり、それぞれの人が持っている輝く部分を見つけて引き出し花を開かせる、それが教育ではないだろうか。その花が開くことが、私たちの所属する社会への貢献である。そして、社会に貢献することによって、私たちそれぞれの人生も充実する。それが教育なのではないか。
35年間、私はたくさんの子供たちと出会ってきた。その中で確実に言えることは、子供たちは私たち人類の未来だということだ。教育は子供たちを変える力がある。つまり教育には未来を変える力がある。そのことを信じてこれからも教育を行っていきたい。
アメリカの国務省の基準では、英語母語話者にとって外国語としての日本語は最も難しい言語の一つであり、CFERのB1レベルに到達するのに2,760時間かかったと報告されている。また、私が運営している学童保育で実験的に500時間、1,000時間、2,000時間、3,000時間での子どもたちの記録を取ってみたところ、3,000時間の時点でB1レベルに達していた。
一方、日本の小学校、中学校、高校での英語時間は全て合わせても1,000時間弱が一般的である。さらに、日本の学校の1クラスの生徒数は、OECD加盟国の中で最大規模に近い40名である。このクラスサイズで英語授業が1,000時間に満たないという現実を見ると、英語教育や日本の環境や国民性の問題というだけでは済まないのではないだろうか。
国際バカロレアの最終試験
国際バカロレアには上級コースと標準コースある。標準コースの最終試験は、1)言語と文化、2)報道と文化、3)将来の課題、4)世界規模での課題、5)社会的課題、6)文学の問題の6つのカテゴリーで構成される。
例えば、「言語と文化」では、「時間の経過とともに言語の何が変化したのか、その変化は良い変化か、悪い変化か?」という問いである。こうした質問に対して、英語で解答が求められる。「報道と文化」では「マスメディアによって強調される固定概念には何があるのか?」、「世界規模での課題」では「全ての国はその国ならでは課題がある。総理大臣もしくは大統領に世界規模での課題に目を向けさせるため、あなたならどんな論理を使って納得させますか」といった問題である。こうした問題に対して、外国語である英語で、論理を組み立てて自分の意見を記述していく。これが国際バカロレアの大学入学審査における外国語試験である。
一方、日本の大学入学試験では空欄補充や選択式による出題が一般的である。私はここに外国語習得の1つの大きな課題があるのではないかと思う。穴埋め・選択式の試験が求める能力と、国際バカロレアの記述式の試験が求める能力には大きな違いがある。「あなたが生きている間に起こると思う変化について、最重要と思われることを2—3あげ、なぜそれらが重要であるのかを説明しなさい」という課題に対して、それに関連する知識を使い、論理的に考え、結論を出す力を持ち、さらにそれを外国語で表現し、コミュニケーションを取っていく。国際バカロレアの最終試験で求められるこのような力は、これからの社会でも求められる力ではないだろうか。
教育の目的
Educate(教育をする)という語の語源の1つに、「引き出す」という意味がある。つまり、それぞれの人が持っている輝く部分を見つけて引き出し花を開かせる、それが教育ではないだろうか。その花が開くことが、私たちの所属する社会への貢献である。そして、社会に貢献することによって、私たちそれぞれの人生も充実する。それが教育なのではないか。
35年間、私はたくさんの子供たちと出会ってきた。その中で確実に言えることは、子供たちは私たち人類の未来だということだ。教育は子供たちを変える力がある。つまり教育には未来を変える力がある。そのことを信じてこれからも教育を行っていきたい。
パネルディスカッション
「新しい学力観」X「英語教育」小・中・高 英語教育現場の最前線
写真上段:(左)正頭英和 氏、(右)小泉香織 氏 / 写真下段:(左)Ian Daniels氏、(右)植松久恵 氏
しばしば英語教育では流暢な英会話スキルの習得が成果として期待されます。しかし、国外では数十年前から「主体的、対話的で深い学び」を目指した外国語教育が実践され、国内でもいくつかの学校において「新しい学力観」(汎用的能力、コンピテンシー)を念頭においた英語教育が展開されてきました。
パネルディスカッションでは小中高の教育現場において先進的な英語教育を実践されている先生方にお集まり頂き、所属校の英語プログラムの特徴および日々の授業内容・方法についてご紹介いただきました。
パネリスト
司会・進行
新多 了(立教大学外国語教育研究センター・センター長、教授)
(一部抜粋)
オンライン授業、対面授業それぞれの、長所と短所をどのように感じられておられるでしょうか。
正頭:
ざっくり言うと、リアルの対面でしかできないことってあんまりないとは思います。ほんとにざっくり言うとですが。細かいところはいっぱいありますが。
ですので、オンラインのメリット、オフラインのメリットというディスカッションはあんまり意味がないと思っています。むしろオンラインのことの方が、1対nでできるので、たくさんできることが多いだろうなと思います。
ただ、現場の先生方があんまりオンラインが好きじゃない理由の1つに、モチベーションの問題があると思います。子供たちが100%モチベーションがある状態だったら、オンライン、オフラインってあんま関係ないですよね。だけど、やっぱり子供たちは子供だから、その日によって、会う友達によって、先生と顔合わせることによって、さまざまな諸条件、変数によって、簡単に上下しちゃうのが子供たちです。そのモチベーションコントロールというところが、オンラインでは結構難しいかなと思っています。ですので、そのモチベーションが一番キーワードになってくるかなと感じています。
小泉:
オンライン授業をした後に生徒にアンケートを取りましたが、意外にも9割以上の生徒が肯定的な意見でした。中でも目立ったのが、やはり動画はずっと残るものなので、いつでも見返すことができるという理由が挙げられていました。これは事実で、例えば最初の週にアルファベットの音読みを1つずつ説明しました。教科書の音読をしていてうまく発音できない音があると、その動画に戻って音の発声の仕方を確認することができます。特に、今は授業中マスクを取ることができないので、口の形を示すことができません。ですので、映像授業のときに作った動画が今も役に立っています。
しかし、やはり英語は実際に他の人と一緒に使う経験を重ねることで力が付いてくると思っているので、一方的に配信するだけで、生徒の顔さえ見えない映像授業は最低限の教育を提供しているのにすぎないかなと個人的に感じています。もちろん双方のやりとりができる、リアルタイム型のオンライン授業であれば事情は変わってくると思いますが、やはりそれでも隣に仲間がいて、同じ環境を共有して、その場で一緒にやりとりを行ったり協力したりしていく経験を積み重ねてこそ、本物のコミュニケーション能力が培われるのではないかと思います。
やはり人はコミュニケーションを取るとき、聞こえてくる言葉だけでなくて、その人の様子をよく観察して、困っていたら助けますし、言葉には出てこない本当の気持ちを察しようと、微妙な変化を感じ取りながらコミュニケーションすると思います。ですので、例えば声のトーンとか表情の微妙な変化などは、リアルタイム型のオンライン授業でも察するのが難しいのではないかなと感じます。
言語面と非言語面の両方の力を育ててこそ、思いやりがある国際人に育っていくのではないかと信じています。その両方を育てることができるのは、やはり実際に人との関わりの中で、どう言葉を使えばいいのか学ぶ経験を積み重ねることができる、それが対面授業なんじゃないかなというふうに思っています。
ダニエルズ:
かえつで、今ネイティブの先生が私を含めて9人います。何かの会議の中で先生たちに、オンラインとオフラインのハイブリッドになって、何か変化があったかちょっと聞いてみました。もちろん、ICTスキルが一気にレベルアップしたところはすごく良いところですが、他によく聞かれた意見は、今まで普通の授業でプロジェクトをするとあんまり発言してなかった生徒が、オンラインになって急に宿題とかワーク、プレゼンテーションをすごくうまくやったりすることがあるということでした。
ですので、学校が対面授業になっても、オンラインでもできるようなワークが大切だとすごく感じています。あまり発言しない生徒にもフィットするような勉強の場をつくることはすごくよいことだと思います。
植松:
どのような授業を展開するのかということもあるとは思いますが、受け手となる生徒がどちらが好きなのか、対面が好きなのかオンライン授業が好きなのか、生徒の特性によるかなと思いました。また、教科の特性にもよるかと思います。やはり実技教科は対面がやりやすそうでした。一方で、数学など問題を幾つも重ねて実力を付けていく科目に関しては、どちらであっても教員の頑張りと、生徒たちの努力が相まって、例年と変わらない力を付けられたように思います。
5月に、広尾学園のインターナショナルコースの生徒たちは、アドバンスト・プレイスメント(AP)という、アメリカの大学レベルのテストを受けますが、昨年の平均点と今年の平均点がほぼ変わらず、中には少し上がったものもありました。ですので、オンラインであっても質が保たれていたと言えます。
今回のシンポジウムのテーマでもありますが、英語教育を通じて、どんな力を児童、生徒に身に付けてもらいたいとお考えでしょうか。
正頭:
学校全体の教育として、いろんなことにチャレンジできる子を育てたいなと思っています。その中で数学の力が役立つこともあれば、国語の力が役立つこともあり、その中で英語の力が役立つこともあるだろうなという認識の中でやっています。
英語教育だけで何かを完成させようと思ったことはありません。中には英語を使って、自分の挑戦を続ける子もいるだろうと思ってやっている感じです。ですので、英語はそれを伝えるための手段の1つであって、全体として育てたいのは、子供たちがいろいろなことに失敗を恐れず挑戦できること。それが、ずっと昔から変わらず掲げてる僕の信念かなと思います。
小泉:
このシンポジウムのテーマでもありますが、やはり生徒に未来を幸せに生き抜く力を付けてもらいたいと思っています。先ほどお話にもありましたけれども、やはりこれから生徒たちが生きる未来には、地球規模でさまざまな問題が複雑に絡み合って、知識だけでは解決できないことや、1人だけでは答えが出ないことが今よりもさらに増えると考えられます。
グローバル化がますます進む中、さまざまなバックグラウンドを持った人たちと一緒に物事に取り組んで、新しい課題を解決していくことが求められると思います。その中で、周りに流されるのではなくて、しっかりと自分の意見を持って発信できる、同時に自分と異なる意見があったとしても、それを単に否定するのではなくて、1つの意見として受け止めて、周りの人たちと一緒に協力して、最善の答えを導き出せるような、そんな力を付けてもらいたいと思っています。
英語の授業の中で、お互いに意見を伝え合ったり問題を探し出したり、他者と協力して課題を解決するといった活動全てが、きっと生徒たちにとって、これから将来英語を使う場面の疑似体験になると信じています。私は生徒たちには、単なる語学が堪能な人ではなく、その場を動かしていけるような人間力を兼ね備えた国際人になってもらいたいと願っています。ですので、そのためにクラスメートと一緒に、授業の中で英語を使う経験を通して、人との関わりの中でどう言葉を使っていくのを学び取っていってもらいたいなと願っています。
ダニエルズ:
すごく難しい質問ですね。5年前に聞かれたら、多分答えが変わったと思います。そして、5年後にまた聞かれると、また答えが変わると思います。それでも、ベースはほぼ一緒で変わらないかなと思います。
かえつが大切にしていることが3つあります。まずは「学び方を学ぶ」。次に、「自分軸を確立する」。もう一つは、「共に生きる」です。この3つを大切にするプログラムを今かえつで作っています。
私の英語のクラスでどうやってそれらが英語に入ってくるかと言うと、まず将来の自分にとって英語が必要か必要でないかというより、グローバル社会で、常に英語が必要になると考えてもいいと思います。そして、その機会に自分が出会ったときにどう向き合うか。例えば、中学校、高校の英語の学びがすごく楽しくて、うまくできなかったことがあっても英語の授業楽しかったねっていうことが心に残っていれば、機会が目の前に現れたときに頑張ることができます。何かをつかもうとする時に、ポジティブに向きあうことできます。各教科の先生としては、それがまずベースです。やっぱり英語が苦手でバイバイしてしまうと、すごくもったいないと思います。
2番目は、コミュニケーションを大切にしたいということです。日本語でコミュニケーションすることと、英語でコミュニケーションするのとはちょっと違います。それを比較し、もう少しメタ認知力を働かせると、世界にはいろいろなことがあることが理解できます。自分の今までの当たり前が少しづつつぶれて、失敗しながらちょっとずつ自分が成長することがすごく大切だと思います。
最後は、英語の勉強をしながら、自己実現ができると、世界をもう少し素直に見ることができるようになります。特に今の時代はSNSやいろんなことがあり、マーケティングもいろんな方法があります。その大変な世界で、自分が誰なのか理解できるような学びができるのが一番の理想だと思います。
植松:
英語教育を通じてということもありますが、小中高の教育を通じて、日本の大学でも海外の大学でも、世界中の大学を選択肢に入れられるぐらいの力を付けてほしいと思っています。いったんそういう力を付けて海外大学での学びをすることができれば、大学卒業後も世界規模で自分の活躍の場を見つけようという視点になっているのではないかと思います。
そういう規模で考えて動ける勢いや心意気を持っていれば、何かやりたいものを見つけて動きだしたいと思ったときに、周囲からサポートを得たり、周囲を巻き込んでいく力を身につけているだろうと思います。それが今日のシンポジウムのテーマになっている、グローバル社会で生き抜く力なのではないかと思っています。
新多:
外国語教育を取り巻く環境は、たくさん大きな問題がありますが、さまざまな場所で、同じような思いを持って日々活動されておられる先生がたくさんおられるということが分かり、私自身もすごく勇気付けられました。きっと今日ご参加いただいた方の中にも、同じような思いを持っていただいた方がおられるのではないかなと思います。今日感じたことを大切にして、また新しい挑戦をしていきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
パネルディスカッションでは小中高の教育現場において先進的な英語教育を実践されている先生方にお集まり頂き、所属校の英語プログラムの特徴および日々の授業内容・方法についてご紹介いただきました。
パネリスト
- 正頭英和 氏(立命館小学校教諭(英語科)・ICT教育部長)
- 小泉香織 氏(渋谷教育学園幕張中学校・高等学校教諭)
- Ian Daniels 氏(かえつ有明中・高等学校教諭、国際主任)
- 植松久恵 氏(広尾学園中学校・高等学校教諭、インターナショナルコース統括長)
司会・進行
新多 了(立教大学外国語教育研究センター・センター長、教授)
(一部抜粋)
オンライン授業、対面授業それぞれの長所と短所について
新多:オンライン授業、対面授業それぞれの、長所と短所をどのように感じられておられるでしょうか。
正頭:
ざっくり言うと、リアルの対面でしかできないことってあんまりないとは思います。ほんとにざっくり言うとですが。細かいところはいっぱいありますが。
ですので、オンラインのメリット、オフラインのメリットというディスカッションはあんまり意味がないと思っています。むしろオンラインのことの方が、1対nでできるので、たくさんできることが多いだろうなと思います。
ただ、現場の先生方があんまりオンラインが好きじゃない理由の1つに、モチベーションの問題があると思います。子供たちが100%モチベーションがある状態だったら、オンライン、オフラインってあんま関係ないですよね。だけど、やっぱり子供たちは子供だから、その日によって、会う友達によって、先生と顔合わせることによって、さまざまな諸条件、変数によって、簡単に上下しちゃうのが子供たちです。そのモチベーションコントロールというところが、オンラインでは結構難しいかなと思っています。ですので、そのモチベーションが一番キーワードになってくるかなと感じています。
小泉:
オンライン授業をした後に生徒にアンケートを取りましたが、意外にも9割以上の生徒が肯定的な意見でした。中でも目立ったのが、やはり動画はずっと残るものなので、いつでも見返すことができるという理由が挙げられていました。これは事実で、例えば最初の週にアルファベットの音読みを1つずつ説明しました。教科書の音読をしていてうまく発音できない音があると、その動画に戻って音の発声の仕方を確認することができます。特に、今は授業中マスクを取ることができないので、口の形を示すことができません。ですので、映像授業のときに作った動画が今も役に立っています。
しかし、やはり英語は実際に他の人と一緒に使う経験を重ねることで力が付いてくると思っているので、一方的に配信するだけで、生徒の顔さえ見えない映像授業は最低限の教育を提供しているのにすぎないかなと個人的に感じています。もちろん双方のやりとりができる、リアルタイム型のオンライン授業であれば事情は変わってくると思いますが、やはりそれでも隣に仲間がいて、同じ環境を共有して、その場で一緒にやりとりを行ったり協力したりしていく経験を積み重ねてこそ、本物のコミュニケーション能力が培われるのではないかと思います。
やはり人はコミュニケーションを取るとき、聞こえてくる言葉だけでなくて、その人の様子をよく観察して、困っていたら助けますし、言葉には出てこない本当の気持ちを察しようと、微妙な変化を感じ取りながらコミュニケーションすると思います。ですので、例えば声のトーンとか表情の微妙な変化などは、リアルタイム型のオンライン授業でも察するのが難しいのではないかなと感じます。
言語面と非言語面の両方の力を育ててこそ、思いやりがある国際人に育っていくのではないかと信じています。その両方を育てることができるのは、やはり実際に人との関わりの中で、どう言葉を使えばいいのか学ぶ経験を積み重ねることができる、それが対面授業なんじゃないかなというふうに思っています。
ダニエルズ:
かえつで、今ネイティブの先生が私を含めて9人います。何かの会議の中で先生たちに、オンラインとオフラインのハイブリッドになって、何か変化があったかちょっと聞いてみました。もちろん、ICTスキルが一気にレベルアップしたところはすごく良いところですが、他によく聞かれた意見は、今まで普通の授業でプロジェクトをするとあんまり発言してなかった生徒が、オンラインになって急に宿題とかワーク、プレゼンテーションをすごくうまくやったりすることがあるということでした。
ですので、学校が対面授業になっても、オンラインでもできるようなワークが大切だとすごく感じています。あまり発言しない生徒にもフィットするような勉強の場をつくることはすごくよいことだと思います。
植松:
どのような授業を展開するのかということもあるとは思いますが、受け手となる生徒がどちらが好きなのか、対面が好きなのかオンライン授業が好きなのか、生徒の特性によるかなと思いました。また、教科の特性にもよるかと思います。やはり実技教科は対面がやりやすそうでした。一方で、数学など問題を幾つも重ねて実力を付けていく科目に関しては、どちらであっても教員の頑張りと、生徒たちの努力が相まって、例年と変わらない力を付けられたように思います。
5月に、広尾学園のインターナショナルコースの生徒たちは、アドバンスト・プレイスメント(AP)という、アメリカの大学レベルのテストを受けますが、昨年の平均点と今年の平均点がほぼ変わらず、中には少し上がったものもありました。ですので、オンラインであっても質が保たれていたと言えます。
英語教育を通じて児童・生徒たちに身につけてもらいたい力
新多:今回のシンポジウムのテーマでもありますが、英語教育を通じて、どんな力を児童、生徒に身に付けてもらいたいとお考えでしょうか。
正頭:
学校全体の教育として、いろんなことにチャレンジできる子を育てたいなと思っています。その中で数学の力が役立つこともあれば、国語の力が役立つこともあり、その中で英語の力が役立つこともあるだろうなという認識の中でやっています。
英語教育だけで何かを完成させようと思ったことはありません。中には英語を使って、自分の挑戦を続ける子もいるだろうと思ってやっている感じです。ですので、英語はそれを伝えるための手段の1つであって、全体として育てたいのは、子供たちがいろいろなことに失敗を恐れず挑戦できること。それが、ずっと昔から変わらず掲げてる僕の信念かなと思います。
小泉:
このシンポジウムのテーマでもありますが、やはり生徒に未来を幸せに生き抜く力を付けてもらいたいと思っています。先ほどお話にもありましたけれども、やはりこれから生徒たちが生きる未来には、地球規模でさまざまな問題が複雑に絡み合って、知識だけでは解決できないことや、1人だけでは答えが出ないことが今よりもさらに増えると考えられます。
グローバル化がますます進む中、さまざまなバックグラウンドを持った人たちと一緒に物事に取り組んで、新しい課題を解決していくことが求められると思います。その中で、周りに流されるのではなくて、しっかりと自分の意見を持って発信できる、同時に自分と異なる意見があったとしても、それを単に否定するのではなくて、1つの意見として受け止めて、周りの人たちと一緒に協力して、最善の答えを導き出せるような、そんな力を付けてもらいたいと思っています。
英語の授業の中で、お互いに意見を伝え合ったり問題を探し出したり、他者と協力して課題を解決するといった活動全てが、きっと生徒たちにとって、これから将来英語を使う場面の疑似体験になると信じています。私は生徒たちには、単なる語学が堪能な人ではなく、その場を動かしていけるような人間力を兼ね備えた国際人になってもらいたいと願っています。ですので、そのためにクラスメートと一緒に、授業の中で英語を使う経験を通して、人との関わりの中でどう言葉を使っていくのを学び取っていってもらいたいなと願っています。
ダニエルズ:
すごく難しい質問ですね。5年前に聞かれたら、多分答えが変わったと思います。そして、5年後にまた聞かれると、また答えが変わると思います。それでも、ベースはほぼ一緒で変わらないかなと思います。
かえつが大切にしていることが3つあります。まずは「学び方を学ぶ」。次に、「自分軸を確立する」。もう一つは、「共に生きる」です。この3つを大切にするプログラムを今かえつで作っています。
私の英語のクラスでどうやってそれらが英語に入ってくるかと言うと、まず将来の自分にとって英語が必要か必要でないかというより、グローバル社会で、常に英語が必要になると考えてもいいと思います。そして、その機会に自分が出会ったときにどう向き合うか。例えば、中学校、高校の英語の学びがすごく楽しくて、うまくできなかったことがあっても英語の授業楽しかったねっていうことが心に残っていれば、機会が目の前に現れたときに頑張ることができます。何かをつかもうとする時に、ポジティブに向きあうことできます。各教科の先生としては、それがまずベースです。やっぱり英語が苦手でバイバイしてしまうと、すごくもったいないと思います。
2番目は、コミュニケーションを大切にしたいということです。日本語でコミュニケーションすることと、英語でコミュニケーションするのとはちょっと違います。それを比較し、もう少しメタ認知力を働かせると、世界にはいろいろなことがあることが理解できます。自分の今までの当たり前が少しづつつぶれて、失敗しながらちょっとずつ自分が成長することがすごく大切だと思います。
最後は、英語の勉強をしながら、自己実現ができると、世界をもう少し素直に見ることができるようになります。特に今の時代はSNSやいろんなことがあり、マーケティングもいろんな方法があります。その大変な世界で、自分が誰なのか理解できるような学びができるのが一番の理想だと思います。
植松:
英語教育を通じてということもありますが、小中高の教育を通じて、日本の大学でも海外の大学でも、世界中の大学を選択肢に入れられるぐらいの力を付けてほしいと思っています。いったんそういう力を付けて海外大学での学びをすることができれば、大学卒業後も世界規模で自分の活躍の場を見つけようという視点になっているのではないかと思います。
そういう規模で考えて動ける勢いや心意気を持っていれば、何かやりたいものを見つけて動きだしたいと思ったときに、周囲からサポートを得たり、周囲を巻き込んでいく力を身につけているだろうと思います。それが今日のシンポジウムのテーマになっている、グローバル社会で生き抜く力なのではないかと思っています。
新多:
外国語教育を取り巻く環境は、たくさん大きな問題がありますが、さまざまな場所で、同じような思いを持って日々活動されておられる先生がたくさんおられるということが分かり、私自身もすごく勇気付けられました。きっと今日ご参加いただいた方の中にも、同じような思いを持っていただいた方がおられるのではないかなと思います。今日感じたことを大切にして、また新しい挑戦をしていきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。